この質問に答えるためには、他のいくつかの関連する質問を理解する必要があります。そもそも「コーシェルを守る」とはどういうことなのでしょうか。
Photo by Ronit Yehudi Mammon
「コーシェルを守る」とは、宗教的なユダヤ人が実践している食事のことで、一般的に「カシュルート」と呼ばれています。「コーシェルを守る」という状態は、ユダヤ人の食事に関する規定をすべて守っていることを意味します。
ガンゼ・ガルス著の『奥深い世界離散に於けるユダヤ人の復興』には、現代のユダヤ人がコーシェルを守ることの意味が書かれています。
▪︎コーシェルを守るとは?
「コーシェルを守る」とは、コーシェルの食品だけを食べることです。伝統的なユダヤ人にとって、コーシェルを守ることは、神と神の儀式や法律を生活のあらゆる側面に取り入れるための、ハラショー(ユダヤ教の法律)のシステムの中心的な部分です。また、二千年以上にわたって様々な地域のユダヤ人が共有してきた独特の儀式であることから、ユダヤ人の中には、同胞とのつながりを深める手段とする人たちもいますが、神の戒律を果たす為以外の理由で儀式を利用してしまう人たちも中にはいます。
現代のユダヤ人哲学者であるイシヤフ・ライボウィッツは、上記の後者の動機は、カシュルートを無効にすると主張しています。つまり、神の戒めを果たすためだけにカシュルートの食物を食べ、他の理由では食べない場合にのみ、カシュルートを守っていることになる、と言うのです。
ライボウィッツ 氏の考えは、偉大なユダヤ系スペイン人ラビであるマイモニデス氏の教えに従っています。彼は、「ベーコンが魅力的であればあるほど、それを避けることに価値がある」と言っています。
一方で、コーシェルでない食べ物を欲しがらないように、自分を鍛えるべきだとする意見や、動機は全く関係なく守るのだとする意見もあります。コーシェルを守るように命じられているのはユダヤ人だけなので、ユダヤ人以外の人がコーシェルを守ることにメリットは無い、というのが多くの権威者たちの意見です。
▪︎コーシェル料理は何が違うのですか?
カシュルート(コーシェルを守る)とは、主に肉食の制限のことです。聖書によると、人間はアダムとエバが創られてから大洪水の後まで、厳格な菜食主義者でした(創世記1:29)。その後、聖書には肉食の許可が与えられたと書かれていますが、それには制限があり、その制限の殆どがユダヤ人にのみ適用されています。これらの聖書の制限がカシュルートの規則の基礎となっていますが、規則の多くはタルムードの中でのみ認識できる形で現れます。
イスラエルの主要なラビの一人であるラビ・クックによれば、「コーシェル肉は、神が妥協して作った菜食主義であり、エデンのアダムとイブのような生活をすることが困難な人のためのセカンドベストである 」。ラビ・クックは、菜食主義を最高のカシュルートとみなし、肉を全く食べませんでした。
他の権威者は、コーシェルの規則を、ユダヤ人であることを忘れず、生活のあらゆる面で神について考える方法として捉えており、したがって、コーシェルの肉を食べることは、神の法を遵守していることを示す特別な方法である、と考えています。
肉を食べることに関して、聖書には3つの主な要件があります。
・血や手足の切断の禁止
・飼育可能な動物種の制限
・儀式的な屠殺
しかし、イエス様の時代からユダヤ教が変化したように、現在では神殿も祭司も生け贄も無いのですから、カシュルートの解釈と実践も変化したのです。紀元2世紀から5世紀にかけて、ユダヤ人の口伝による教えが、最終的にミシュナーとして文書化されたタルムードでは、聖書の戒律にいくつかの規則が追加されています。
「コーシェルを守る」ということに対する追加的な解釈の一つが、乳製品と肉類の分離です。第一神殿、第二神殿の時代にこの規定があったという証拠はありませんが、乳製品と肉類の分離は、タルムードの時代から「コーシェルを守る」ことの一部となっています。
✡️イエス様がコーシェルを守っていたかどうかを考える上で、もう一つ考慮しなければならないのは、現在のユダヤ教はイエス様が生きていた頃のユダヤ教ではない、という事実です。現在、コーシェルを守ることは殆どのユダヤ人にとっての選択肢の一つであり、正統派ユダヤ人にとっては生活の一部となっていますが、イエスの時代には選択肢は無く、全員がコーシェルを守っていたのです。
✡️当時も、例えば、便利だから、流行だからという理由で、ギリシャやローマの生活様式を選んだ人などの例外はありました。しかし、イエス様がユダヤ人として生活し、ユダヤ人としての義務を果たしたことは間違いありません。彼は「コーシェルを守った」のであり、それはイエス様の弟子たちにも、同じことが言えるのです。
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